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2014.10.28 (Tue)

猫ひろしのマネをした時ぶりだから、8年ぶりかな。

もう1つ鑑賞しました!


教えている小学校での芸術鑑賞会に潜入。
レッスン前にいかが?とのことでがっつり鑑賞させて頂きました!




日本の各地にある超伝統的な祭や舞を1時間半ぐらい。


一瞬だけ参加型で「らっせーらー」言わされた時はどうしようかと思ったけど、先生ラインに座っちゃったから全力でやるしかないよね(笑)


「ら」はもちろん巻きます。
ぅるあっすぇーあー!!!

「らっせーらー」だなんて言ったの、いつぶりだろう。



「豊かに稔れ」ということで、どの祭、どの舞も、根本は「人の強い願い・祈り」なのかなと感じました。
さらに掘り下げるとそれは漢字一文字にまとめられる。

芸術文化のルーツ、根本はそういう願いで、踊ること自体が目的でなく、ましてやそこにある美の追求はあとから付いてきたものなのかなと感じました。


いい仕事だなぁ(笑)
これぞ芸術観賞会。
自分がやる側の時も「何を伝えたいのか」明確にしていこうと改めて思いました。


もう努力し尽くして知恵も絞りきった状態。
自然など、人間の力や努力ではどうにもならない。
それでも「なんとしても」どうにかしたいこと。


どうにもできない状況なのにどうにかしたい…
そりゃあもうよっぽど強い意志です。


意志の強さは人間の強さとも言えますね。


踊ったから、祈ったからといってどうにかなる問題ではないかもしれません。
そんなことはわかってるかもしれないし、踊り祈れば本当にどうにかなるという思いもあるかもしれない。



でもそこじゃねぇんだわ。
踊り祈るほどの強い「なんとしても」という意志がその行動の始まりなんだわ。



そして、その意志を持続させ奮い立たせるのが祭で、踊る・祈る、なんじゃないかと思いました。



つまりそれは、悪い意味での他力本願ではなく、すごく自然な人間らしさというものに感じました。




では、なぜ「なんとしても」なのか?




自分の地位、名声、儲けごときのためでは「なんとしても」という、かなり体力のいる意志の持続はできないでしょう。


それらのためなら独りよがりになるから、少なくとも皆で踊るだなんて美しいことは無い。




…きっと人のためなんでしょうね。




子供とか。親とか妻とか旦那とか。仲間とか友人とか。


だからなりふり構わず。いや、そんなもん構ってる場合じゃないほど、なんとしてもどうにかしたいんですよ。


「人のため」となると恩着せがましく感じることもありますが、人のためのようで自分のためでもあるんです。
逆もしかり。



子連れクラスメイツと私でランチをしてきたんですよ。

クラシックのオケの中にパンクロッカーがいるようなaway感。

最終的にはそんなこと関係なくなるけどね(笑)


その時のみんなの諸々の所作を見ていても、そんなことを感じました。

本当に尊敬する友人たちです。




そんな週末を過ごしたとさ(笑)

↓押してみてください(笑)

23:59  |  事後報告  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)

Comment

荒馬座

ラッセーラー…

へっ! 立たなきゃマズい? と迷っている様子が受けましたよ。

ぐっさん |  2014.10.30(木) 16:46 | URL |  【編集】

Re: ぐっ様

私のレッスンの裏でブログチェック頂きありがとうございます(笑)
そして見させて頂きありがとうございました!
お陰さまで大和魂思い出しました(笑)
ふぃらい |  2014.10.31(金) 21:13 | URL |  【編集】

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